出雲大神宮は、千歳町出雲無番地に鎮座する丹波一の宮で、709年(和銅2年)の建といわれています。背後にそびえる御蔭山(みかげやま)を御神体山として社殿には、大国主命(おおくにぬしのみこと)とお后の三穂津姫命(みほつひめのみこと)がお祀りされています。社殿は、鎌倉時代に造られたものといわれており、三間社流造檜皮葺で、大国主命坐像(木造)とともに、国の重要文化財に指定されています。また、広い境内には、多くの摂社や末社が祀りされています。当社は、縁結びの神様として有名で、近年には御神体山より湧き出る水を求めて、遠くから多くの人が訪れています。
なお、毎年4月18日に行われる『鎮花祭/はなしずめのまつり』には、京都府の無形民俗文化財に登録されている「出雲風流花踊り」が奉納されています。
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千歳車塚古墳は、出雲大神宮の西方約600mの水田中にあり墳丘には樹木もなく古墳が造られた当時の姿をしており、口丹波に現存する最大の前方後円墳です。大きさは、全長80m、後円部直径41m、高さ7.5m、前方部の幅45.5m、高さ6mの整美な姿を残しています。また、周囲には周濠をめぐらせています。
外部施設としては葺石と埴輪が確認されていますが、その配置については不明です。当古墳はその外形と出土した埴輪などから、5世紀代の古墳時代中期に築造されたものと推定されています。
国分寺は聖武天皇が五穀豊穣・国家鎮護のため、741年(天平13年)に詔を発して国分尼寺とともに各国ごとに建立された寺で、丹波の国では当時の国の中心地と思われる千歳町国分に国分寺が、またその西方450mの河原林町河原尻には国分尼寺が建立されました。境内は南北247m、東西243mのほぼ正方形で、回廊は一辺138mの大きさで造られていました。
その中門をくぐると東に七重塔、西に金堂、正面に講堂が配されており、幅は七重塔は16m、金堂は25m、講堂は36mあったと推定されています。
これらの豪華な建物はその後焼失し、現在の本堂・山門・鐘楼は、安永年間に再建されたものです。また、ご本尊の薬師如来坐像は11世紀の作で国の重要文化財に指定されています。
なお、跡地は亀岡市が買い上げて「丹波NEW風土記の里構想」に基づき整備を進めています。
(亀岡市教育委員会のパンフレットより)
愛宕神社は石松山(通称牛松山)の麓の千歳町国分南山ノ口1番地に鎮座し、507年(継体元年)の創建といわれています。
社殿には祭神として火産霊神(ほむすびのかみ)、伊邪那美神(いざなみのかみ)及び大国主神(おおくにぬしのかみ)がお祀りされています。
社殿は鎌倉時代に造られたものといわれ、一間社流造りで国の重要文化財に指定されています。
また当神社より山城の国の鷹ケ峯に分霊後そこから愛宕山の阿多古神社に遷され、さらにそこから全国の一千余社に分霊されたことから愛宕の本宮と尊称されています。
当神社は御祭神からもわかるように、火の神様で防火や万物の生みの親として各地から多くの「愛宕講」の参拝者が訪れています。
なお、毎年4月24日に「鎮火祭」が執り行われ、『火迺要愼』の御札を求めて多くの人が訪れています。
☎0771-23-9341
八幡宮社
八幡宮社は千歳町毘沙門平松47番地に鎮座し、社殿には祭神として応神天皇をお祀りしています。
当社はもともと神応寺の境内に祀られていましたが、明治初年の神仏分離により現社地内に祀られていた毘沙門天像を神応寺に移す一方、当社が現社地に移されました。
なお、現在の社殿は明治44年に新築されたもので本殿は一間社流造です。